明治24年9月1日 |
瀧本清治により屋号「ペンキ清」として、鳥取市内にて創業。塗装、看板業界に第一歩をしるす。のち鳥取県一円と松江・兵庫北部へと営業を拡大、15名ほどの職人にて稼働。 |
昭和17年12月24日 |
全国塗装組合連合会が許可され、「ぺんき清」として県下1社のみ入会。 |
昭和18年 |
鳥取大震災により鳥取市内の住宅・店舗崩壊が多発。建直し工事にともなう塗装工事を受請う。 |
昭和23年4月8日 |
2代目瀧本留治により社名変更。「瀧本塗工店」とし、新たな希望の灯をもやして出発。又、時同じくして、社団法人日本塗装工業会が発足、県下1社入社となる。 |
昭和27年 |
塗装工事業 知事許可第421号 |
昭和27年2月12日 |
有限会社瀧本塗工店に組織変更し法人化。社長、瀧本留治、専務瀧本紀夫就任。 |
昭和35年3月10日 |
看板塗装工業組合結成、1号会員となる。 |
昭和36年4月11日 |
塗装工業会鳥取県支部結成。瀧本留治が支部長となり県下の塗装業への指導、発展に尽くす。 |
昭和38年8月25日 |
鳥取県屋外広告業協同組合結成、1号会員となる。 |
昭和50年12月 |
有限会社瀧本塗工店新社屋完成。S造3階建(現在社屋) |
昭和53年8月7日 |
3代目代表取締役社長 瀧本紀夫、取締役専務 瀧本紀晴就任。 |
昭和60年9月 |
国体を控え、JR鳥取駅改修大型工事受注。
鳥取国体開催・鳥広美メンバー5社にてJV結成。当社を代表として、各大会会場の看板工事、塗装工事、仮設工事を、1年かけて完工。 |
平成元年 |
鳥取市政100周年事業「おもちゃ博覧会」会場設営のスタッフとして参加。メインテーマ館、各パビリオン、他仮設工事、仕上工事、看板工事、塗装工事等々担当。
防水工事業 知事許可第421号 |
平成3年4月12日 |
4代目瀧本紀晴社長、瀧本覚専務に就任。
瀧本紀夫会長となる。 |
平成3年9月1日 |
瀧本塗工店、初代瀧本清治創業より、100周年をむかえる。 |
平成11年4月 |
社団法人 日本塗装工業会 鳥取県支部支部長に
瀧本紀晴 就任。 |
平成11年5月 |
鳥取県建築塗装技能士会 会長に瀧本紀晴 就任。 |
平成17年1月 |
中国 山東省 烟台市より塗装研修生 3名受入れ。 |
平成17年9月 |
建築工事業・とび・土工 知事許可第421号 |
平成29年9月23日 |
役員変更
代表取締役会長 瀧本紀晴
5代目代表取締役社長 瀧本覚
専務取締役 瀧本公紀 就任 |
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現在に至る |